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衆院選が始まり、街頭で訴える女性候補(画像の一部を加工しています)=2024年10月17日、東京都内、高室杏子撮影

Re:Ron連載「みたらし加奈の味方でありたい」第13回

 【最近テレビをつけるとジェンダーと政治に関する話題をよく見かけます。期待をする一方で「社会はこのままなのかも」と感じてしまう瞬間もあります。ニュースの画面に映る政治家は男性が多いですし、新しい内閣の写真を見ても女性は少なかったです。日本初の女性の総理大臣を期待するのはやっぱり難しいのでしょうか?】(ゆり子さん)

 NHK連続テレビ小説「虎に翼」が終わってから1カ月。放送されていた9月からすでに「とらつば」ロスだった私は、いまだに最終週を見ることができない。みなさんもご存じのとおり、虎に翼は、日本で初めて女性として法曹界に足を踏み入れた三淵嘉子をモデルに描かれたドラマである。

 この連載で何度も取り上げようとしたが、そのたびに筆が進まなかった。最終週を見ようと思っても、リモコンにたどり着かない。私のなかで終わらせてしまうのが怖かったのかもしれない。ドラマで描かれる希望は、自分自身の一部だった。本編のなかには、私自身の姿だけではなく、私の周りの〝女たち〟の姿もあった。ドラマの舞台は戦前から始まっているが、現代においてもその苦しみは地続きである。

 物心がついた頃から、私の周りには男がいた。同い年の男だけではなく、権力を持った男、暴力をふるう男、いろんな男がいた。ここでいう「男」は「男性」ではない。私にとって「男」とは性自認ではなく、「家父長制を体現した人」である。ホモソーシャルに染まり「男性性」にとらわれた人間を「男」と認識しながらも、私は「男」になりたかった。

 念のため注釈を入れておくと、性別違和があったわけではない。割り当てられた性別や、この体に違和感や苦痛があったわけではない。どちらかといえば、社会的に押し付けられる性別に耐えられなかった。ボーボワールの著書『第二の性』にある「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉を引用すれば、「〝女〟になる」ということから逃げたかった。それを自覚した10代の私は、自らの女性性を否定するように男たちのなかで「女」をさげすんだ。ホモソーシャルになじんでいる自分で居たかったし、周りにいる男たちと同様に「フェミニズム」や「フェミニスト」を憎んだ。だって、私が〝弱く〟見えてしまうから。書いているだけで、胸がヒリヒリする。しかし、そのときの私をなかったことにはできない。

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「味方でありたい」は、読者の皆様からの悩みやメッセージに答えるかたちでみたらしさんが考えます。LGBTQ+の当事者、支援者の方からもお待ちしています。(相談は記事で紹介する場合があります)

 20代になって就活がはじまったころ、「男」に見られない自分に失望をした。はき慣れないパンプスは血だらけになった。「女性はパンツスーツよりも、スカートの方が好感度が高い」と言われて、泣く泣くスカートを買いに行った。「声が低すぎる」と言われて、2トーン高い声で話す自分が嫌だった。面接に行く企業の最寄りのロッカーに、着替えのパンツとスニーカーを押し込んで向かった。面接が終われば、パチンコ屋で足を広げてたばこを吸っていた。たばこの煙で白く濁り、皆が黙々と機械に向かい合うパチンコ屋は、私が「女」でいなくていい場所だった。

 たばこを吸い始めたのは、祖…

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